宮城の旅2014その4~閖上
★今日の写真はクリックで大きくなったりならなかったりです
![]() 今回の旅の目的は,野球や鉄補給だけではなく, 東日本大震災の被災地をこの目で初めて見ること,チビに見せることにもありました。 石巻,利府を後にして,最後の目的地は閖上(ゆりあげ)です。 ![]() 生命線になったという歩道橋。すぐ近くのコンビニは閉店のまま。 少し前に名取へ出張していたツレが,現場の人から案内を受けていたので そのときの説明を聞きながら回ることにしました。 ![]() 閖上中学校 ![]() あのときのまま止まった時計。 ここで犠牲になった生徒たちの名を刻んだ石碑に合掌して 親御さんが願いを込めてつけた その名に触れながら ただ涙。 ![]() なぎ倒されたガードレール,旗の掲揚ポールも大きく曲がっていて。 残っている住宅はほぼ空き家でした。 ![]() 宅地のかさ上げ工事が始まるそうで,現場に関係者がたくさん来ていました。 完成後の高さ,5mまで上るチビ。 ![]() 閖上の港まで来ました。 ![]() 閖上湊神社の立つ丘の下には,大きな昔の石碑が。 ![]() お参りしたのち,丘の上から 街の跡地を眺めてみました。 ![]() なにもかも ない ![]() 丘を降りて ![]() 慰霊碑へ ![]() 津波の高さと同じ8・4m ![]() 亡くなられた方の魂が天に昇って行くような 新しく生えた芽が天に伸びるような そんなかたちの碑と そこに記された この街で暮らしていたひとの 膨大な数の名前 ![]() 交差点の角には なぎ倒された根っこだけが錆びついていましたが ![]() 東に5m伸び,2m沈んだという地面を再測量し始めているようでした。 ![]() 住宅は土台ごと根こそぎなくなっていて,その区画を残すのみ。 がれきは撤去され終わっていますが,側溝に残る茶碗のかけらなどに そこにいたひとびとの暮らしを思うのでした。 ![]() 海岸に出ると,福島県からずっと伸びているという新しい防波堤。 ![]() 岩手県へとずっと続くのだそうです。 私たちも含めてたくさんの人が県外からここへ訪れていました。 観光旅行の一環なのか, お酒が入っていい気分になっている団体「客」もいて どうしてこの地でそんな風に笑えるんだろう とその時は思いましたが どんな形であれ,この地を訪れて この地で起こったことをその目で見ることが大事 なのだと ![]() そしてこの日 現役当時お世話になった先輩が 長い闘いの末 天に召されていました・・・ 喪失感を深く抱え こころが平坦に戻るまで時間がかかりましたが 生かされている意味を問いつつ 「これから」を生きていこうと あらためて思うのでした。 よろしかったらぽちっとな☆φ(・_・) ![]() にほんブログ村 |
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>拍手コメさま。
拍手コメへの返信こちらからいたします^^
このあと実は,山形~鶴岡を経由して秋田市へ戻りました・・・
走行距離640kmを給油なしで走ってくれたスバル君,いい子です。
しばらく乗らなくてもいーです(笑)
このあと実は,山形~鶴岡を経由して秋田市へ戻りました・・・
走行距離640kmを給油なしで走ってくれたスバル君,いい子です。
しばらく乗らなくてもいーです(笑)
No title
次男君の感想はいかがでしたか? 凄い体験になったことでしょう。
うちの子たちも、15歳になって ようやく4年ぶりの「じいじの家」に
虫の死骸や鼠の糞だらけだから゜土足のままで"と言っても 「じいじに申し訳ないから」と 脱いでました。
犬猫はもちろん、白骨化した牛を 実際に見て、半年ほど 従順でした
「ちょっと、あの時の謙虚さはどうした?!」やれやれです
半分、当事者でも こうなのに あねっちや様、素晴らしいです
我がことのように忘れず 語り継いでくださるなんて 感謝です!
うちの子たちも、15歳になって ようやく4年ぶりの「じいじの家」に
虫の死骸や鼠の糞だらけだから゜土足のままで"と言っても 「じいじに申し訳ないから」と 脱いでました。
犬猫はもちろん、白骨化した牛を 実際に見て、半年ほど 従順でした
「ちょっと、あの時の謙虚さはどうした?!」やれやれです
半分、当事者でも こうなのに あねっちや様、素晴らしいです
我がことのように忘れず 語り継いでくださるなんて 感謝です!
>ゆっこ さま。
いつもならば「早く行こうよ」と次の行き先を急かすチビですが,
石巻と閖上でだけは黙って私のそばにいました。
いつもと違う母親の様子を感じ取ってくれたのでしょう。
>我がことのように
そうですね・・・
私も あそこで酔っぱらって爆笑していた観光客と同類なのかもしれません。
でも今回は,見てきて,感じたことを,せめてこういう形で残すことが
せめてもの務めなのかと思っています。
そして,ゆっこさまのご実家の様子が目に浮かび,
「それまでそこに確かに在った暮らし」がどんなにすばらしいものだったかを思うと胸が詰まるのです。
直接的に大きな被害を受けなかった土地に暮らしていますが,
あの日起こったことは,心身が忘れることはありません。
このカテゴリについては,これからも何度でも書きますし,書いていこうと思います。
石巻と閖上でだけは黙って私のそばにいました。
いつもと違う母親の様子を感じ取ってくれたのでしょう。
>我がことのように
そうですね・・・
私も あそこで酔っぱらって爆笑していた観光客と同類なのかもしれません。
でも今回は,見てきて,感じたことを,せめてこういう形で残すことが
せめてもの務めなのかと思っています。
そして,ゆっこさまのご実家の様子が目に浮かび,
「それまでそこに確かに在った暮らし」がどんなにすばらしいものだったかを思うと胸が詰まるのです。
直接的に大きな被害を受けなかった土地に暮らしていますが,
あの日起こったことは,心身が忘れることはありません。
このカテゴリについては,これからも何度でも書きますし,書いていこうと思います。