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あねっちゃ

Author:あねっちゃ
20ン年の共働き生活を休止し,専業主婦デビュー。
潜伏4年を経て,再就職トレ開始。
ゆるゆるな日常をゆるゆると書いております。
佐藤竹善・SING LIKE TALKINGファン歴25年。
2010年にMEA(マイクロ波子宮内膜アブレーション)を受けました。それについてのモロモロは,旧ブログのフリーページに置いてありますので,リンクからどうぞ☆
写真はクリックで大きくなったりならなかったり。

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日本海中部地震のこと。

今日5月26日は,30年前に日本海中部地震が起きた日です。

それまでの私の人生で経験した一番大きい地震は,小学生の時の宮城県沖地震。
それをはるかに上回る揺れを感じたのは高校の授業中でした。

4校時正課クラブの時間。家庭科室で作業をしていたところ,正午に地震が来ました。
6人掛けの大きな作業台が,隣同士ずれるほどの大きな揺れ。
おさまったところで外へ避難するよう校内放送が流れ,全校生徒が一斉にグランドへ。
外でソフトボールなどをしていた生徒たちは,揺れに気づかず,
出てきた私たちに驚いていたのをよく覚えています。

そして,帰宅してテレビを見た時の衝撃・・・

秋田県が面する日本海側には津波は来ない,という考えが浸透していたのに,
海は海岸にいた人たちを容赦なくさらい,
干拓でできた大潟村の道路は割れたチョコレートのようになり,
デパートの天井は大きく陥没崩落し,噴水の水は揺れであふれ,
倒れたブロック塀の下から,母さんの足が見えていて・・・

津波被害の大きさに,小さな漁村である母の実家へ,翌日父母は向かいました。
途中の道路は,陥没と液状化で,走行が大変でしたが何とか到着。
実家のみなさんの無事を確認した後に聞いた話だと,
津波は家のすぐそばまで迫り,高台に町内全員が走って避難。
足が弱っていた祖母はおんぶしてもらって上へ。
そこで皆が見たものは,白く波立って押し寄せる津波・・・
母たちが来てもまだ,恐ろしさで震えの止まらない祖母。

地震=津波,という考え方が初めて人々の頭の中に刻まれた日になりました。

この地震の犠牲者で忘れてはならないのが,
社会科見学で男鹿の小さな入り江を訪れていた小学生たち。
内陸から海を見に来て,楽しいお弁当の時間に悲劇は訪れました。
一緒に来ていた親の目の前で,子供たちは波にのまれてしまったのです・・・

その小学校では毎年慰霊祭が行われています。
出席した子供の親の中には,あの時無事だった子供さんもいたとのこと。
30年の月日を経てもなお消えない悲しみを,残された親御さんたちが語っていました。

この5月26日は,その後も何度か大きめの地震に見舞われています。

まさか今日も・・・と思っていたところ,
先ほど夜10時過ぎに,秋田県内陸南部震度3の地震があり,ここも揺れを感じました。

あのときとは比べられないほどの大震災を経験した後でもなお,
「忘れるな」という大地からのお告げではないかと思えるのです・・・

あの日を忘れまい。合掌。

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secret

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No title

事務方さんも書いてました。秋田の人にとって忘れられない日でした。
弘前も結構揺れて、お偉いさんたちが 地震の名称を「秋田沖」にするのを反対してた記憶が←山形も青森も被害があったのに・・・という理由?
  もめるのは そこじゃないでしょ! 救助&支援でしょ! と学生ながらに思いました

同じ日というのは 本当に 何かあるのかもしれません。
3.11だって、ほぼ100年前の 3月に 強首地震が起きて、秋田内陸が壊滅的打撃を受けたそうです。
(うちは その時に湧き出した温泉なので、この地震の日だけは知ってます)

もうすぐ6月。 5年前にも 岩手宮城地震、でかい被害がありました。
減災に務めましょうv-22

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>ゆっこ さま。

もとは仙台に住んでいた私。太平洋側では地震がひんぱんだったので,
こちらへ越してきてからは,さもない地震でみんなが大騒ぎになるのが不思議でした。
しかし,30年前の地震は別格・・・
ネーミングの話にも,政治的介入があったことは覚えています。

10月10日(元・体育の日)が,必ず晴れになるという「晴れの特異日」のように,
地震にも特異日があるのでしょうか(・_・;)
ゆうべ,PCに向かって揺れを感じながら,「やっぱりか」とぞっとしました。
県南部は震災前後,直下型地震が頻発していますね・・・心配です。
特異日にも注意しながら,「備えよ常に」の心がけで過ごしたいと思います。
  • | 2013.05/27.Mon
  • | 16:28
  • | あねっちゃ
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仙台でしたか

それでは 昭和53年6月12日の地震、覚えてますか?
毎週 常磐線で仙台までエレクトーンを習いに行っていて、巻き込まれましたv-237
ライフラインが止まる大変さを しみじみ感じました。
ブロック塀の耐震化も あの28名の犠牲のもとに 周知されるようになったのでした。
(なのに わが地区では おざなりな?日曜大工的ブロック塀で隣と雪合戦v-26してるのでした。意識、別のほうに向けようよ・・・)

これだけ 何度も あちこちで被害出してるのに やはり 自分に振りかからないと 目覚めないんでしょうかv-15
特異日・・・初めて知りました。情報ありがとう。では 減災、ご一緒にv-238

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>ゆっこさま。

>昭和53年6月12日の地震、覚えてますか?

覚えていますとも(`・ω・´)キリッ☆
ただ,地震のあったときには既に秋田住まいになっていたので,
仙台のお友達の家の屋根瓦がすべて落下したという知らせを受け,
かつて住んでいた街の被害の大きさに,ショックを受けました・・・
ゆっこさんは,大変な経験をされていたのですね★
近代に入り,発達したライフラインが寸断された大きな地震はこれが最初だった気がします。
いろんな経験を積み重ね,小さな揺れでも体に感じるたび,
「水!」「電気!」「ガソリン!」と,一瞬で脳内で確認するようになりましたが,
「忘れまい」という心の備えだけは,怠ることなきよう日々暮らしています。
  • | 2013.05/30.Thu
  • | 11:42
  • | あねっちゃ
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